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青森地方裁判所 昭和43年(ワ)183号 判決

原告

岡野具子

外一名

代理人

祝部啓一

被告

株式会社 角弘

代理人

小内山績

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告岡野典子に対し金一五〇万円、原告岡野弘美に対し金二五〇万円および右各金員に対する昭和四二年一二月六日から支払いずみに至るまで各年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、また被告の主張に答えて、つぎのとおり述べた。

一、請求の原因

(一)  訴外倉内孝雄は、被告会社の被用者であるが、昭和四二年一二月四日午後一一時ころ、被告会社業務のため残業をして遅くなつた部下を自己所有の普通乗用自動車(以下被告車という。)に同乗させて被告会社浅虫出張所から同人の自宅まで送りとどけて引き返す際、浅虫ヘルスセンター入口付近に向け青森市大字浅虫字螢谷二九三番地先道路に差しかかつたが、当時は激しい雨降りのためライトを下向きにしておかねばならぬ状態であつて、前方の見とおしも極度に悪かつたから、このような場合、自動車運転者としては絶えず前方を注視して進行するはもちろんのこと、いつでも停車することができるように徐行して事故の発生を未然に防止しなければならない注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、慢然と時速約四〇キロメートルで進行を継続した過失により、対向歩行中の訴外岡野文七(当時二九才)を約一メートルに接近して始めて認め、あわてて急ブレーキをかけたが間に合わず、自車前部を右訴外人に衝突させて転倒させ、同人を翌五日頭蓋骨骨折により死亡させた。

(二)  被告は、その業務の執行につき訴外倉内に対し被告車を使用することを許容していたものであるから、自己のために被告車を運行の用に供していたものというべく、その運行によつて岡野文七の生命を害したのであるから自動車損害賠償保障法により同人の死亡によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

仮に、右法条による損害賠償責任を負わないとしても、本件事故は被告の業務の執行に関して生じたものであるから、被告は、倉内の使用者として民法第七一五条による損害賠償責任を免かれない。

(三)  本件事故による岡野文七の死亡によつて生じた損害は、つぎのとおりである。

(1) 文七の得べかりし利益の喪失金七一八万〇、七九三円

文七は、本件事故当時二九才の健康な男子で、調理士の資格を有する調理士として青森市大字浅虫の旅館南部屋に勤務し、給与年額金四六万五、〇一三円の収入を得ていたもので、将来も少くとも右同額の給与を得られたところ、同人の生活費は食事代については南部屋で支給されていたので一か月につき金八、〇〇〇円として年額九万六、〇〇〇円を要したから、同人が死亡することなく勤務していたならば、毎年金三六万九、〇一三円以上の純収益を得ることができた。

同人は、前記のとおり調理士としての資格を有していたから、本件事故当時の二九才から六五才まで三六年間少くとも右年額金三六万九、〇一三円の純収益を得ることができたと考えられるところ、右期間の純収益合計を死亡時において一時支給を受けるものとしてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して得られた現在額は金七一八万〇、七九三円となる。

(2) 文七の慰藉料 金一五〇万円

文七は、本件事故により二九才という若さで妻子を残したまま不慮の死を遂げたものであつてその無念さは想像するに難くなく、また負傷時から死亡に至るまでに被つた精神的、肉体的苦痛は筆舌に尽しがたいものであつたと考えられるから、右苦痛を慰藉するためには金一五〇万円をもつて相当とする。

(3) 原告らの相続

原告岡野典子は、文七の妻であり、原告岡野弘美はその長女として、右(1)、(2)の損害賠償金八六八万〇、七九三円のうち、原告典子はその三分の一である金二八九万三、五九八円を、原告弘美はその三分の二である金五七八万七、一九五円をそれぞれ相続した。

(4) 原告らの慰藉料

(イ) 原告典子の慰藉料

金一〇〇万円

原告典子は、本件事故により最愛の夫を奪われ、悲嘆と絶望に暮れているが、幸福平穏な生活から一転して寡婦としての索莫たる余生を送らなければならない境遇に陥つたものであつて、その精神的苦痛は筆舌に尽し難く、右苦痛を慰藉するためには金一〇〇万円をもつて相当とする。

(ロ) 原告弘美の慰藉料

金五〇万円

原告弘美は、本件事故により父を失ない、今後とも精神的にも経済的にも不安な生活を送らざるを得ぬ境遇に陥つたもので、これによる苦痛を慰藉するためには金五〇万円をもつて相当とする。

(5) 損益相殺

原告らは、本件事故による文七の死亡に伴ない自動車損害賠償責任保険金三〇〇万円を受領し、倉内は、損害賠償の内金として金三〇万円を支払つたので、右合計金三三〇万円を相続分にしたがつて原告典子がその三分の一である金一一〇万円を、原告弘美がその三分の二である金二二〇万円をそれぞれ取得し、原告典子の前記(3)、(4)の(イ)の損害賠償金三八九万三、五九八円から右金一一〇万円を控除した残額金二七九万三、五九八円が文七の死亡による右原告の実損害であり、原告弘美の前記(3)、(4)の(ロ)の損害賠償金六二八万七、一九五円から右金二二〇万円を控除した残額金四〇八万七、一九五円が、文七の死亡による右原告の実損害である。

(四)  そこで、被告に対し、原告典子は右損害賠償金二七九万三、五九八円のうち金一五〇万円、原告弘美は右損害賠償金四〇八万七、一九五円のうち金二五〇万円および右各請求金額に対する本件事故発生の日の後である昭和四二年一二月六日からそれぞれ支払いずみに至るまで各民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二、被告の主張に対する答弁

(一)  被告の本案前の主張を争う。

(二)  本案に関する被告の主張(1)ないし(4)をいずれも否認する。

第二、被告訴訟代理人は、本案前の答弁および本案の答弁として、つぎのとおり述べた。

一、本案前の答弁

「本件訴を却下する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求める。その理由は、つぎのとおりである。

倉内孝雄は、被告車を岡野文七に衝突させて同人を死亡せしめた本件事故により業務上過失致死被告事件として起訴されたが、原告ら訴訟代理人は、右刑事被告事件の弁護人として倉内を弁護したものであるから、弁護士法第二五条第一号の趣旨からして本件訴訟を文七の相続人である原告らから受任できない地位にあるというべく、それにもかかわらずこれを受任して提起された本件訴は不適法として許されない。なんとなれば、原告ら代理人は、本件事故の加害者である倉内の刑事弁護人として同人を弁護したものであるから、同人と信頼関係に立ち、同人から内情を打ち明けられて協議したものと認むべく、また、本訴において同人は被告として訴えられてはいないけれども、同人を被告とすると否とにかかわらず、右刑事被告事件と本訴請求はその基礎たる事実と同じくするから結局前記法条に違反する。

二、本案の答弁

主文同旨の判決を求める。請求の原因事実に対する答弁および主張は、つぎのとおりである。

(一)  請求の原因事実に対する答弁

請求の原因事実(一)のうち、倉内孝雄が被告会社の被用者であつたこと、同人が原告ら主張の日に自己の運転する被告車を岡野文七に衝突させて文七を死亡せしめたことを認めるが、その余を不知。

同事実(二)を否認する。

同事実(三)の(1)ないし(5)を争う。ただし、原告典子が文七の妻であり、原告弘美がその長女であることは不知

(二)  被告の主張

(1) 仮に、倉内が残業で遅くなつた自己の部下である長谷川を被告車に同乗させてその自宅まで送つたとしても、右は午後六時過ぎごろであつたから倉内は、その後浪館の自宅にいたか、あるいはどこかで遊んでいて午後一〇時半ころ浅虫に引き返したものである。倉内は、本件事故当日、当直であつて浅虫給油所をあけることができなかつたにもかかわらず、職場を放棄して長谷川をそのの自宅まで送つたであるから、右はもはや被告会社の業務の執行ということができない。

(2) 仮に、倉内が職場を放棄していなかつたとしても、社員の通勤は会社の業務の執行に関するものではない。のみならず、被告車は倉内の所有であつて被告会社の所有に属するものではなく、被告会社としては、同人が被告車で通勤していたことを全く知らなかつたのであるから被告車に対し支配権がなく、同人が被告車で通勤することにつきなんらの利益をも享受していなかつたから、自動車損害賠償保障法第三条による損害賠償責任を負ういわれがない。

(3) 本件事故は、文七が飲酒酩酊のうえ突然被告車の前方に出てきたために発生したものであつて、倉内にはなんらの過失がなく、文七の一方的過失に基因するものである。

(4) 仮に、倉内に過失があつたとしても、文七にも前記のような過失があつたから、損害賠償額の算定にあたつては過失相殺さるべきである。

第三、証拠関係〈略〉

理由

一訴外倉内孝雄が被告会社の被用者であつたこと、同訴外人が昭和四二年一二月四日その所有の被告車を運転して青森市大字浅虫字螢谷二九三番地先道路に差しかかつた際、被告車を訴外岡野文七に衝突させて死亡せしめたことは当事者間に争いがない。

二まず、被告の弁護士法違反の主張について判断する。

〈証拠〉によると倉内孝雄は、本件事故につき業務上過失致死罪により青森地方裁判所に起訴され、原告ら訴訟代理人が右刑事被告事件の弁護人として倉内を弁護したものであること、および原告岡野典子が岡野文七の妻であり原告岡野弘美がその長女であることが認められる。

弁護士法第二五条第一号において、弁護士は相手方の協議を受けて賛助し、またはその依頼を承諾した事件については、その職務を行つてはならないと規定しているゆえんのものは、弁護士がかかる事件につき弁護士としての職務を行うことは、さきに当該弁護士を信頼して協議または依頼をした相手方の信頼を裏切ることになり、そして、このような行為は弁護士の品位を失墜せしめるものであるから、かかる事件については弁護士の職務を行うことを禁止したものと解するのが相当である(最高裁判所昭和三八年一〇月三〇日判決、民集一七巻九号一、二六六頁参照)。ところで、原告ら訴訟代理人は、本件事故につき倉内に対する業務上過失致死被告事件の弁護人として同人を弁護し、かつ同人と被告との間に雇傭関係が存していたことは前記認定のとおりであるけれども、本件全証拠によるも、原告ら訴訟代理人が被告から本件事故につき協議を受け、またはその依頼により倉内の弁護人となつたことを認めることができないから、被告との間に信頼関係が生ずるものと解することができず、また本件事故の加害者たる倉内の刑事被告事件の弁護人であつたからとて、その使用者たる被告に対する損害賠償事件につき同事故の被害者の相続人である原告らの委任によりその訴訟代理人となることをもつてしては、直ちに弁護士の品位を失墜せしめるものと解することができないから、原告ら訴訟代理人の右受任行為は弁護士法第二五条第一号に違反するものとはいえず、この点に関する被告の主張は理由がない。

三本件事故の発生原因について判断する。

〈証拠〉を総合すると、つぎの事実を認めることができる。

1  本件事故現場は、浅虫橋から国鉄浅虫駅前を経て浅虫ヘルスセンター入口に通ずる東西に走る国道四号線の国鉄浅虫駅東方約四〇〇メートルの地点であること、事故現場付近の国道は幅員が8.2メートルの歩車道の区別のない全部アスファルト舗装された平坦な道路で、左にゆるいカーブをなし、道路の両側には商店、旅館等が密集しているが、視界を妨げる障害物はなく、現場には街路燈の設備があつて夜間における前方の見とおしは容易で最大限度約五〇メートル前方の障害物を十分に識別できる状況にあること。

2  倉内は、昭和四二年一二月四日午後一一時ころ、被告会社業務のため残業をして遅くなつた部下の長谷川を自己所有の被告車に同乗させて、被告会社浅虫給油所から青森市花園町の同人宅まで送りとどけて右給油所へ引き返す際、浅虫ヘルスセンター入口付近に向け本件事故現場に差しかかつたが、当時同所は交通量が少なく、かつ右給油所近くまで来たことから緊張がゆるみ、前方に対する注視を怠つたまま慢然と時速四〇キロメートルで被告車を運転したため、対向歩行中の岡野文七に気づかず、自車前部を同人に衝突させてその場に転倒させ、よつて翌五日同人を頭蓋骨骨折により死亡させたこと。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。

してみると、本件事故は倉内が前方を十分に注視しないで被告車を運転した過失により惹起されたものといわなければならない。

四そこで、被告が本件事故を惹起せしめた被告車を自己のために運行の用に供した者にあたるか否かにつき判断する。

〈証拠〉を総合すると、つぎの事実が認められる。

1 被告は、金物、建築資材および石油類の販売を主な営業目的とする会社で、倉内は、被告会社浅虫給油所の責任者としてほか四名の社員とともに同給油所における石油類の給油業務に従事していたが、その職務の性質上必ずしも自動車の利用を必要としなかつたこと。

2 倉内は、昭和四二年七月ころ青森日産モーター株式会社から被告車を買い受け、青森市大字沖館の自宅と前記給油所間の通勤に被告車を使用していたこと、被告は、自己所有の車両で通勤する社員に対しては通勤手当として月額金五〇〇円、国鉄バス等で通勤する社員に対しては国鉄バス定期券等をそれぞれ支給していたが、本件事故当時倉内が被告車で通勤していることを知らず、またこれを許容していなかつたので、同人に対し右通勤区間の国鉄バス定期券購入代三か月分金一万一、九七〇円(月額金三、九九〇円相当)を通勤手当として支給していたこと。

3 本件事故当日、倉内は、当直勤務であつたが、残業をして遅くなつた部下の長谷川を被告車に同乗させて同人の自宅まで送りとどけて前記給油所へ引き返す際、本件事故を惹起したものであるが、被告では社員が残業して遅くなつたためバス、国鉄等の交通機関を利用して帰宅することができなくなつたときは、ハイヤーで帰宅することを許容し、そのハイヤー代金を会社で負担することにしていたこと、被告はそれまでも被告車を会社の業務および連絡に使用したことがなかつたこと。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆えすに足る証拠がない。

右認定事実を総合すると、被告車の運行利益および運行支配はいずれも倉内に専属しており、被告には右のいずれもが帰属していないものというべきであるから、被告が被告車のいわゆる運行供用者にあたるということができない。

したがつて、被告が被告車の運行供用者であることを前提とする原告らの自動車損害賠償保障法による損害賠償請求は理由がない。

五進んで本件事故が被告の業務の執行につき発生したものか否かにつき判断する。

前記四の1ないし3で認定したとおり、被告は、自動車運転を営業とするものではないし、被告車は倉内個人が買い入れたもので被告所有ではなく、倉内がその職務上自動車の運転に従事している事実あるいは少くともその職務活動上の必要から平素自動車の運転に従事し被告もこれを許容してその運転による職務活動を利用している等の事実が認められないから、たまたま本件事故の際の被告車の運転が前記のように倉内が残業で遅くなつた部下を自宅まで送りとどけての帰途のためのものであつても、それ自体は倉内の職務活動の範囲内に属するものとはいえないから、倉内の右運転行為は被告の業務の執行につきなされたものとすることはできない。

したがつて、本件事故が被告の業務の執行につき発生したことを前提とする原告らの民法第七一五条による損害賠償請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

六以上のとおりであつて、原告らの被告に対する本訴請求はいずれも失当であるからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。(辻忠雄)

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